こんにちは😊
昨日の夕方の嵐山、中之島公園です🌸

空がピンク色になって、桜との相性がとてもいい感じでした✨
夕方の雰囲気だいすきです😊😊
さて、先日も着物の柄「琉球絣(りゅうきゅうがすり)」を紹介しましたが、
今日はこちら↓↓↓↓
「矢絣(やがすり)」を調べて行こうと思います!!
袴とかによく合わせられるこちらの柄💁♀️


矢絣(やがすり)とは、矢羽を図案化した文様のこと。
矢飛白とも書く。また矢羽根絣(やばねがすり)、矢筈絣(やはずがすり)ともいう。
矢絣の模様は矢羽の形を縦に並べ、それを二列おきに逆方向にしている。
和服の柄や千代紙の柄として使用されることが多く、
特に紫色の矢絣の着物は歌舞伎や時代劇の腰元の衣装によく使用されている。
日本では非常に古くから使われている模様で、本来は矢羽模様の絣を指していた。
着物の柄として使われる場合、矢羽を幾何学模様のようにあらわして縦方向に並べているものが多い。
江戸時代に、結婚の際に矢絣の着物を持たせると出戻ってこない
(射た矢が戻ってこないことから)といわれるようになり、
縁起柄とされるようになったことから、小紋などにも矢羽模様が使用されるようになり、
矢羽模様をさして「矢絣」と呼ぶようになった。
明治・大正時代には矢絣のお召と海老茶色の袴を組み合わせた衣装が女学生の間で流行し、
「海老茶式部」と呼ばれた。現在では大学の卒業式の際に、
袴とあわせる着物の柄として人気があるそうです!
ちなみにこちらの帯も矢絣です🌸

着物の柄にも入っている菊の模様は、長寿を象徴する花だそうです🌸
平安時代、九月を菊月と呼び、九月九日の重陽の節句を「菊の節句」として、
長命を祈る風習があったと、古典に記されています。
この頃から、菊文様は邪気を払う長命の象徴として、装束に用いられてきました。
平安時代から鎌倉時代にかけては後鳥羽上皇が菊を好んでご自分の印として愛用し、
その後も菊紋を印として継承した天皇がいらしたことから、
三十二弁ある十六葉八重表菊の紋が皇室のものとして定着しました。
しかし徳川幕府の葵紋のように厳しい取り締まりがなく菊花紋自体の使用は自由とされたため、一般庶民の間に広く親しまれるようになったのです。
江戸時代菊花が多く意匠化されて図案として用いられ、和菓子や仏具の飾りなど様々なものに使われるようになっています。
レトロなお着物をお探しの方はこちらのコーディネートをどうぞ😆


